日本のメンズファッションを切りひらいて来られた石津謙介氏が、24日未明、ご逝去なさいました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
アサヒコム:服飾デザイナー石津謙介さん死去 若者風俗の「開拓者」
続きは後ほど──
時代は昭和の中ごろだった。故人である父、雄之助が先代から受け継いだ「肌着のフジタ」から「メンズショップ」へ転身を図ろうとしていたとき、石津謙介氏と出会った。
JAX(ジャックス)というブランドは当時、ステンカラーコートやボタンダウンシャツなどを造り、男の若者たちにアメリカのアイビースタイルを教えていた。伊藤紫郎氏が率いるアイビーブランドの雄だった。
そのJAXの業績が降下し、代わりに台頭してきたのが、かのVANヂャケット社。むろん石津謙介氏をトップにした、本格的なメンズファッションを提唱する化け物アパレルであった。
わがメンズUは、JAXからVANへ主力ブランドを替え、VANショップとして一時代を築いた。雄之助は全国各地に点在するVANショップの販売促進チームに参画し、VANが唱える新しいファッション、あるいはライフスタイルを緻密に吸収し、フジタイズムというろ過装置を通して、岩国の街に暮らす若者たちにアイビーファッションを説いて過ごした。
そんな活動は石津氏の耳にも届き、人口十万人程度の小さな街にあるメンズショップとしては、異例に石津氏と直結した位置にあったのだった。ほどなく雄之助は商業コンサルタントを生業の一つにし、講演や執筆活動で流通業界で名を知られる存在となった。
いまになって思えば、雄之助が説いてきた商い道の根幹は、VANショップとして多くのお客様──仲間と接してきた経験が素になっているようである。
それはファッションのこだわりだけではなく、正義や作法、接客、サービスなど、商いというよりは社会の中にあって如何に立ち振る舞うのが紳士か、という大きな柱だった。
石津謙介氏の生涯を報道や文献で追うと、そこにはメンズショップフジタ=VANショップフジタ=フジタメンズUの軌跡が、かなりの長さで重なる。亡き雄之助の人生もさることながら、洋服屋の倅(せがれ)として生まれ、まさにVAN全盛期に思春期を過ごし、中学生のときには既に自社の跡取りを意識してきた筆者も、在りし日の石津謙介氏の存在がとてつもなく大きな影響を受けていた事を、いまさらながらに感じ入るのである。
言い替えれば、もしも石津謙介氏の存在がなかったら、雄之助が築き上げたメンズUもなかったかも知れないし、いきおい筆者もこうしてメンズUを営みつつBLOGを書いていたかどうかわからない。また、かかる人生を歩んできたうちに出合った数え切れない友人、知人たちとも、接点すら無かったかもしれないのだ。
左様に振り返ると、石津謙介氏がいかに大きな存在だったか、まったく筆舌には尽くせない。
平成17年という年に、雄之助が他界し石津謙介氏も天寿をまっとうされた。ともに計り知れない支えとしてあった、少なくとも私には師と思える人たちであった。はからずも二人が時に差なくあの世へ逝かれた事に、なにかとてつもなく大きなメッセージを感じてならない。
どのようにも解釈できる事にはちがいないけれども、明日もまた休むことなく営みを続けるメンズUを担う一介のメンスショップのオヤジとして、ほとんど身が引き締まる思いなのである。
故、石津謙介氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
長い間、本当にありがとうございました。
あの世でまた、雄之助がお目に掛かった節は、どうぞよろしくお願い申し上げます。
合掌。
2005年5月24日 自宅書斎にて。
※関連サイト
アパレルレポート復刻版
石津謙介氏の逝去に際して
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